九州より韓国に近い島
日本と韓国の架け橋の島
長崎県
島の90%近くが山
どこに行くにも山道をクネクネ上がったり下りたり
平地の海岸線を走ることはない
以前は『津島』だったが
釜山から見える「つしま」が
二頭の馬が、仲良く向かい合って草を食べているように見えるから
『対馬』となったとか
大宝(701)の年号は対馬から金が産出されたから
対馬銀山は江戸末期まであった
かなり豊かな島であることは、あちこちで感じられます
和多都美神社(わたづみ じんじゃ)
「神様が、いらっしゃる」
そう感じることができる強いパワーがある
令和2年9月7日の台風10号で
第一の鳥居が倒壊し、連なる五本の鳥居が四本となってしまった。
海神の豊玉彦尊(とよたまひこのみこと)が宮殿を造り
「海宮(わたづみのみや)」と名づけ
この地を「夫姫(おとひめ)」と名付けた
「海幸彦と山幸彦」伝説の地
うみさち やまさち
赤羽末吉 絵の一部
舟崎克彦 文の一部
兄の火照の命(ほでりのみこと)は、
海幸(うみさち)といって
海の魚を釣るのが仕事
弟の火遠理の命(ほおりのみこと)は、
けものを とる仕事をしており
山幸(やまさち)と よばれた
ある日のこと、弟の山幸は
「兄さん、わたしの弓矢(ゆみや)と
あなたの釣針(つりばり)を
とりかえて みませんか」
海幸は しかたなく
願いを きいて やった
山幸は よろこび いさんで
さっそく海へ でかけたが、
海幸が大切にしている釣針を
なくしてしまった
兄は おこって何が何でも
かえしてくれ、
と いって きかない
山幸は浜へ出て泣きくれていた
潮の流れをつかさどる
塩椎(しおつち)の神の老人の
小舟に乗り、流されると、
やがて水底(みなそこ)の宮殿に
たどりついた
海神(かいじん)の娘
豊玉姫(とよたまひめ)は
山幸こと火遠理の命(ほおりのみこと)に
ひと目ぼれ
姫は山幸の嫁になり
三年ほどもたった ある夜のこと
海神(かいじん)に
なくした釣針のことを
初めて聞かせるのだった
鯛の のどに あの釣針が
ささって いるではないか
海神(かいじん)は
針を兄上に お渡しになる時は
『ふさぎ針、たけり針
貧乏針、おろか針』
と、まじないを となえ
うしろ手で さし出すのです
兄上の田には水を やりません
あなたを憎んで
ころそうと するでしょう
そんな時
山幸は塩満玉(しおみつたま)で水をのんで
海幸をおぼれさせ
また、塩乾玉(しおふるたま)で水をひかせて
いのちを すくって やりもした。
何度か くり返すうちに
海幸は もはや
山幸には かなわぬことを思い知ると
ついに両手をついて
あやまったのである
豊玉姫尊(とよたまひめのみこと)と彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)を祭神とする
峰町資料館(みねまち しりょうかん)
対馬の中部に位置し
古代から「みね」と呼ばれていた
「曲(まがり)」という地の
海女(あま)さんが褌(ふんどし)一つで真冬にも海に潜って
サザエやアワビを取っていた様子の資料がある
ツシマヤマネコ
ベンガル山猫
イリオモテヤマネコとは違う
60㎝程の大きさで、耳の後ろにも白い斑点がある
ネズミ、モグラ、ヘビを食べる
生息数は約100頭だが
昭和20年頃は、高タンパク質として食べていた
韓国展望所(かんこく てんぼうしょ)
韓国をイメージした展望所
釜山(ぷさん)市が見える時があるらしい
夜景の街明かりの方が見える機会は多いようだ
鰐浦(わにうら)
5月上旬にヒトツバタゴの白い花が3000本咲く
水戸黄門が訪れた時、
島の人が「この花の名は?」と尋ねると
「なんじゃ も~ん~」と困ってると
「なんじゃもんじゃ!ですね」
ナンジャモンジャの別名が付いたという
上見坂公園(かみざか こうえん)
白嶽(しろがたき)
小さな島と思えない山が連なる風景です
豊臣秀吉の朝鮮出兵に、否応なく従った対馬藩主
しかし、徳川家康に政権が代わると
「朝鮮との国交を開け」の命令
朝鮮に送った交渉人は殺され戻ってこない
徳川家康の密書を持って来い!
朝鮮の申し出に苦心した対馬藩主
朝鮮には、徳川家康の偽の密書を
徳川家康には、朝鮮の偽の密書を
そして、朝鮮通信使(ちょうせんつうしんし)が来るようになった
バンザイ
しかし、徳川家光の時代に、家光に対馬藩主が以前したことを告げ口する人物が二名
対馬は危機にさらされるが、家光が処分したのは告げ口した二名
家光、好きになったわ!
小茂田神社(こもだ じんじゃ)
元寇古戦場跡(げんこう こせんじょうあと)
椎根(しいね)の石屋根
穀物の高床式倉庫
今も使ってる
屋根の石は、頁岩(けつがん)
椎(しい)の木
維持が難しく
造りなおすのには2000万円かかるため
瓦の屋根になってる
近くには立派な家が多く、赤ん坊を抱く二人の女性に会った
幸せそうな笑顔で
「島に嫁いできました!」
昔は倉庫のカギは姑(しゅうとめ)が管理して
嫁には、なかなか譲らなかったらしい
でも今は、お嫁さんが一番!
どこも いっしょね
お舟江跡(ふなえ あと)
対馬藩の船だまり
原型を留めるのは、めずらしい
罪人の処刑場でもあった。
昭和59年
河童(カッパ)が、いたずらしてる?!
騒動があった
万松院(ばんしょういん)
百雁木(ひゃくがんぎ)と呼ばれる石段
全部で160段ある
低い一段に右足と左足が、リズムよく乗せることが出来るので息切れも少なく、てっぺんに着くことができた
てっぺんに対馬代々の対馬藩主宗家の墓がある
金石城跡(かねいしじょうあと)
対馬の石垣の多さと高さにはビックリ
鏡積み(かがみづみ)と呼ばれ
城壁、武家屋敷の保護に用いられてる
対馬の方言
シング 親友
パル 耕す
ハズム おしゃれ 晴れ着
ヤカヤカ わざわざ
アラカマシ 乱暴
ウベル 薄める
山口県や広島県などからの移住者が使った言葉が、そのまま方言となった
まだまだ見どころがあるようだ
対州馬(たいしゅうば)と呼ばれる小型だが力がある日本の馬も実際に見ることができる公園など