ウォーキング旅

鞆の浦 タイムスリップして龍馬に会える&仙酔島 ポニョが走る海へ 広島

投稿日:2018年9月22日 更新日:

瀬戸内一の景観!
江戸時代の湾岸施設である
常夜燈じょうやとう(一晩中、ともしておく灯)
雁木がんぎ(桟橋の船着場にある階段)
波止場はとば(波を防いで船を停泊させ、荷物の揚げおろしの通路)
焚場たでば(天然ドック 船を建造、修理、係留するための施設)
船番所跡ふなばんしょあと
ほぼ完全な形で現存しているのは「鞆の浦」だけ!

歯のある 仏様がいらっしょる「地蔵院」
髪の毛がある お地蔵さんがいらっしゃる「小松寺」
ユニークですね。

黄金に輝く約5メートルの『大仏』がいらっしゃる「阿弥陀寺」

由緒ある「沼名前神社」では、火祭りが催される。

5月には『鯛網(たいあみ)』乙姫が大漁祈願を舞い、弁天島の弁財天(べんざいてん)に祈願して出漁する様子が観光できるようです。

1826年、オランダ商館の医師シーボルトは
「活気に溢れた町」と!

ちなみに、朝井まかて著『先生のお庭番』を読み、シーボルト事件の実情を知るきっかけになった。

アクセス
電車
広島駅 JR山陽新幹線(25分~55分)
JR山陽本線(1時間45分)
→福山駅 トモテツバス→鞆の浦or鞆港(約30分)

広島IC 山陽自動車道(約95km)→福山東IC 国道182号線 南下(約35分)

鞆の浦(とものうら)観光名所

安国寺(あんこくじ)

南北朝動乱の戦死者を弔うために、足利尊氏・直義兄弟が造ったお寺の一つです。

桜の名所で「阿弥陀如来立像(あみだにょらいりつぞう)」と
「法燈国師座像(ほっとうこくしざぞう-臨済宗の僧)」が、
ライトアップされた桜の後ろで、優しく照らされている。

小烏神社(こがらすじんじゃ)

こがらっさん」の愛称で親しまれている神社。
福島正則が『鞆の浦』の城下町を整備した際に鍛冶工を、この地域に集めて鍛冶屋町を造り、その中心にあたるのが『小烏神社』です。12月『ふいご祭り(鉄鋼祭)』が開かれます。
南北朝時代の古戦場でもありました。

沼名前神社(ぬまくま じんじゃ)

とても由緒があり、みどころも多く、日本最古の「茅の輪(ちのわ)くぐり」と日本三大火祭りの「お手火神事(おてびしんじ)」が開催されます。

海上安全の「大綿津見命(おおわたつみのみこと)」を祀る『渡守(わたす)神社』と、無病息災を祈願する「須佐之男命(すさのおのみこと)」を祀る『祇園社』があり、鞆の人々に「ぎおんさん」と呼ばれ親しまれている。

2つ目の鳥居を見てね。
日本でここだけの『鳥衾(とりぶすま-鳥の寝床)』が付いてますよ。

簡単に分解し移動できる、豊臣秀吉 遺愛の能舞台があります。

小松寺(こまつじ)

平清盛の長男 重盛が、お堂を建て、松の木を植えたことが起こりで、重盛が亡くなってから遺髪を持ってきて五重塔を建立した。

以降、足利尊氏の陣を構えたりと歴史に登場します。
本堂前に「有髪薬師地蔵尊-髪の毛があるお地蔵さん」が祀られていて”ボケ封じ”の、ご加護があるそうな。

龍馬の隠れ部屋  枡屋清右衛門宅(ますやせいえもんたく)

1867年(慶応3年)4月23日夜
坂本龍馬ら海援隊士が乗った「いろは丸」と紀州藩の「明光丸」とが岡山県六島沖で衝突し、「いろは丸」が沈没するという事件が起きた。
この際、鞆港を訪れた龍馬が宿泊したのが「枡屋清右衛門宅」でした。
当時、廻船問屋(かいせんどんや-荷主から委託された貨物を販売したり、商品を仕入れ販売する卸売り商人)を営んでいた枡屋は土佐藩、薩摩藩、大洲藩との取引からの縁で、借りた「いろは丸」が沈没し、紀州藩に賠償金の談判する龍馬に関わったのです。
龍馬は階段のない2階の隠れ部屋に寝泊まりしたと伝えられており、暗殺の危機もかえりみず談判にのぞんだ覚悟がしのばれる。

対仙酔楼(たいせんすいろう)

鞆の豪商「大坂屋」が建てた木造二階建ての門楼。
江戸の後期の儒学者、頼 山陽(らい さんよう)が「山紫水明(さんしすいめい)自然の風景が清浄で美しいこと」の熟語を生み出した場所とされる建造物。

福禅寺(ふくぜんじ)の対潮楼(たいちょうろう)

江戸時代に禅寺本堂に隣接する客殿。朝鮮通信使の迎賓館として使用された。
座敷から観る瀬戸内海に浮かぶ島々は素晴らしく、朝鮮通信使から「日東第一景勝」と賞賛された。

万葉歌碑(まんよう かひ)

『吾妹子(わがもこ-男性が妻や恋人を親しみを込めて呼ぶ語)が見し鞆の浦のむろの木は常世(とこよ-永遠に変わらない)にあれど見し人ぞなき』大伴家持(おおとものやかもち)
死別した妻を想う歌。

鞆の津の商家(とものつの しょうか)

福山市の重要文化財。
主屋(おもや-家族が住む家)と土蔵(どぞう-倉庫)が隣り合って建っている。
黒壁に二階の白い縁取りの虫籠窓(むしこまど)が、かっこいい。
麻で編んだ魚を取る網(特に投網を専門に)船具、鉄工品(矢じり・天秤のおもり)作って売っていた。
「鞆の産業は漁業と鉄工」だと、いろいろな場所で分かります。

大可島城跡(たいがしまじょうあと)圓福寺(えんぷくじ)・夾明楼(きょうめいろう)

かつて「圓福寺」は、「大可島城」だった。
南北朝時代から鞆の浦の拠点であり、戦国時代は村上水軍の一族は、ここを拠点として海上交通を支配した。
そして「いろは丸事件」の談判場所でした。
本堂の裏手から、弁天島と仙酔島の景勝を見渡せます。

「夾明楼」は、圓福寺の座敷で、ここからの眺めは格別。
江戸時代を通して漢詩会や歌会、句会が催され、儒学者や風流人に愛されたそうな。
力石(ちからいし)

重い荷物を肩に担ぎ、積み荷を運んだ力自慢の沖仲仕(おきなかし)は、祭礼の場などで、力石を使って力自慢を競いあった。

地蔵院(じぞういん)

鞆城の二の丸跡に建てられた真言宗「鶴林山地蔵院(かくりんざん じぞういん)」

歯がある「木造十一面観音立像」が安置されていて、歯の健康を守る仏様として信仰されている。

お地蔵さんが静かにいらしゃる空間も味わってください。

阿弥陀寺(あみだじ)

あみだいじ」と呼ばれてます。
鞆一番の山門。

5年かけて完成させたピカピカ約5メートルの大仏
「丈六(じょうろく約4.85m)阿彌陀如来座像(あみだにょらいざぞう)」が鎮座。

医王寺(いおうじ)

平安時代、空海(弘法大師)によって開かれた真言宗寺院。
山の中腹にあるので、鞆の浦の街並みや島々を眺めることができる。

岡本家長屋門(おかもとけ ながやもん)

「保命酒」と「龍をまとった看板」「けやきの扉」が重厚さをアップしてます。
明治のときの火災で、廃城の福山城の長屋門を買い取って店舗にしたそうな。

太田家住宅(おおたけ じゅうたく)・七卿落遺跡(しちきょうおち いせき)


七卿落ち1863年三条実美ら七人の公卿が、長州の手引きで都落ちする際に途中、鞆の浦に立ち寄り、憩ったのが太田家である。

とうろどう(文学資料館)

常夜灯(じょうやとう)江戸時代は、灯籠燈(とうろどう)と呼ばれた。
海中の亀腹型石積まで含めると10メートルを超す大きさで、日本一。

保命酒(ほうめいしゅ)

名産の薬味酒(リキュール)
「瀬戸内の養命酒」と言われているが、医薬品ではない。江戸時代の保命酒は、主に公家や上級武士、豪商の高価なものだった。
最盛期は昭和初期ごろで、海外への輸出も行われていたが、太平洋戦争で品質低下と鞆町の衰退で生産は減少した。

パワースポット仙酔島(せんすいじま)


仙人も酔ってしまうほど美しい島”なのです。
海岸線に沿った歩道を歩いていると、岩の色がさまざまに変化し驚き魅せられます。

アクセス
鞆港 徒歩3分→渡船場 船(5分)→仙酔島渡船場

ポニョが海から飛びだしてくる
ポニョのお父さんが海に立ってる
ポニョのお母さんが、ゆうゆうと漂ってる
そんなことも感じられます。

自然をたっぷり味わうハイキングコース

御膳(ごぜん)コース 600m(約20分)
短い距離で、岩石、植物、鳥、伝説歴史が分かる
仙人コース
夕陽が沈むときは、特に美しい
弥山コース 3.5km(約1時間30分)
森林浴を味わえる
鳥の口コース 2.7km(約1時間)
天然記念物の断層や地層や岸壁が魅力的

 

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