三谷坂(みたにざか)は、丹生酒殿神社(にうさかどの)を起点として、丹生都比売神社(にうつひめ)に参拝し町石道へ、あるいは笠松峠から直接町石道へ登り高野山を目指す古代からの参道で世界遺産。
「三谷坂は木陰にして深き泥なし 道ほど近し かたがた神妙の由 上下よろこびなす」
白河天皇の第四王子の覚法法親王の「高野山参拝籠日記」にみられる。
めざすは丹生都比売神社で、高野山までの四分の一程度だが、かなり長い坂道に思えた。
しかし、道は歩きやすく、キレイな道標が細かく設置されてあり、平日で人に会うことは、ほとんどなかったが、迷うことなく最終目的の慈尊院(じそんいん)にたどり着けた。
妙寺駅→丹生都比売神社→町石道→慈尊院→九度山駅
妙寺駅(みょうじ えき)
無人駅だが、パンフレット・マップが置いてあります。
丹生酒殿神社(にうさかどの じんじゃ)
丹生都比売(にうつひめ)の神さまが降り立ったとき、お酒を初めて神前に供えたことに由来するそうな。
鎌八幡宮(かまはちまんぐう)
丹生酒殿神社のすぐ横にあり、イチイガシの神木の幹に鎌がたくさん、ささっていて、ちょっと不気味です。
願いがかなったら、鎌が幹に食い込み、かなわなかったら鎌が抜け落ちるそうな。
宮滝(みやたき)
滝に備えたキュウリを、村の子供たちが食べると疱瘡(ほうそう-天然痘 あばた)が治ったといわれている。
「河童の患いも免れた」紀伊続風土記
青いみかんが好きなので、見かけたおじさんに売って欲しいとねだったら、枝を切って「お金はいらんよ、カバンに入れとき」と、盗ったと思われないかと心配してだろう。写真を撮らしてくれと頼むと、緊張気味の顔になってしまったが、笑顔のかわいい、おじさんだった。平日の一人歩きに、声をかけられた時はビックリしたかな。
笠石(かさいし)
空海(くうかい)の笠が雨引山(あまびきさん)から風に飛ばされて、この石に掛かったといわれている。
自然石のままで、加工は不可能で貴重。
笠の上に、阿弥陀如来座像が彫られ、南北朝時代のものと推定されるそうな。
鋒立て岩(ほこたていわ)・経文岩(きょうもんいわ)
丹生都比売(にうつひめ)の神さまが鋒(ほこ-刀 つるぎ)を立てた岩だそうな。
経文岩に、お経が書かれていたと思われるが、現在は文字が刻まれた跡もない。
涙岩(なみだいわ)
かつては、人々の渇きをいやし、下流の田畑を潤していた。
頬切地蔵(ほきれじぞう)
鎌倉時代の初期に自然岩から造ったものと推定されている。
北正面に大日如来
東に釈迦如来
西に阿弥陀如来
大日如来のほほの割れ目が傷のように見えることから、首から上の病に効くといわれてる。
休憩所が横にある。
川の側に水くみ場があり、手と顔を洗うと気持ちよく、ゴールの丹生都比売神社をめざした。
まっとう岩
どっしりとした石で、目指す的から「まっとう石」と呼ばれたのでは?語源は解らないそうです。
笠松峠(かさまつとうげ)
六本杉とつながっている。
丹生都比売神社(にうつひめ じんじゃ)
天照大神(あまてらすおおかみ)の妹君、丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)またの名を、稚日女命(わかひるめのみこと)を祭っている。「丹」は朱を意味し魔除けの力があり、丹生都比売神社は「丹生」の神社百八十社余の総本社である世界遺産です。
空海が、丹生都比売命の子、高野明神(狩場明神)が飼っていた黒白2匹の犬に導かれて高野山にのぼったとされ、以来高野の守護神として敬われている。
高野山には、何度か訪れたが、丹生都比売神社は初めてで、存在すら知らなかった。
きっと正月の初詣には、車でくる参拝客は多いのでしょうね。
久しぶりにウキウキと太鼓橋を歩いたが、ちょっぴり恐かった。
休憩スペースで、やっと、梅干し入り塩おにぎりと、途中でおじさんに頂いた、みかんを食べた。半分青いみかんは、甘みが少ないが、疲れた身体に最高のごちそうだった。
六本杉(ろっぽんすぎ)
歩いた2018年10月は、9月の台風21号の影響で、封鎖されていた。残念!
しばらく車道を歩いていて、コンクリートの道に嫌気がさしたころに、「町石道」の道標につられ入っていった、いきなり、うっそうとした上り坂にゼイゼイ、後悔したが慈尊院に向かう下り坂が続きはじめ安堵した。
しかし、そこからも長い道のりで、上から見える街並みは、なかなか近づかなかった。
明るい内に電車に乗るために急いだ。
町石道(ちょういしみち)
石がゴロゴロしているところもありますが、歩きやすく、整備するのには、かなりの労力が必要だったようです。
高野山への道しるべとして、1町(約109m)おきに石柱が立っていて、梵字(ぼんじ-密教の如来・菩薩・明王など)が刻まれている。
世界遺産
丹生官省符神社(にうかんしょうぶ じんじゃ)
空海が、慈尊院と共に高野山の玄関口として創建した。
慈尊院(じそんいん)
空海(くうかい-弘法大師)が高野山の麓に寺務所・宿所・冬期避け寒修行、祈願地とした。
「慈尊院」と名付けられたのは?
空海の母が厚く信仰した弥勒菩薩の別名を「慈尊」と呼ぶことから。
「女人高野」と呼ばれたのは?
女人結縁の寺と知られ、おっぱいが、いっぱいぶらさがっていた。
子授け、安産、育児、授乳、良縁などを願って多く訪れるそう。
「九度山」という地名は?
高齢の空海の母が慈尊院に滞在し、空海が月に9度(本当はもっと頻繁に)通ったことから付けられたそうな。
慈尊院に、たどり着いたときは「九度山駅」は、すぐそこにあるものと思い込んでいたが、ガタガタの足には辛く、30分はかかり、10月の空は、暗くなりかけていた。
丹生都比売神社で、20分程座っただけで6時間を要した。