観心寺は、大阪府の南の山奥にある。
コロナの外出自粛の中、出かけるのは気が引けますが、如意輪観音さまに手を合わせてきました。
お坊さんも、しっかりマスクをして特別開帳に不安の様子でしたが、
如意輪観音さまの「天変地異を鎮める」の云われで開帳されたようです。
車椅子で金堂まで行けます。
南海高野線、三日市駅を降り、道路を約2キロ歩いて45分程を少しずつ山を登って行く道のりでした。
4月は服装に思案しますが、厚着だったので途中で気持ち悪くなりました。
ゆったり、たおやかな如意輪観音さま。
座っておられる如意輪観音さまを、座って観ることができます。
優しい面差しに見とれ、
いつまでも、お側にいたい、
いつまでも、見ていたいと感じます。
ゆったりとした海を飽きずに眺められる。
そんな感覚を、如意輪観音さまにも感じました。
拝観に来られた方々も同じ思いで座っているようでした。
大阪の山奥に、こんな素敵な如意輪観音さまが、いらっしゃったとは感無量です。
如意輪観音は弘法大師(空海)により、中国(唐)から日本に伝えられました。
現存している六臂(手が六本)の如意輪観音の中では最古で唯一の国宝です。
観心寺(かんしんじ)
(701年)
飛鳥(あすか)時代後期、役行者(えんのぎょうじゃ)によって開創(かいそう)。
(808年)
平安時代、弘法大師(こうぼうだいし)空海により、如意輪観音座像(にょいりんかんのんざぞう)を彫刻されて本尊とする。
(827年)
空海の一番弟子の実恵(じちえ-道興大師)とその弟子の真紹(しんじょう)が造営工事を始める。
(1336年~1392年)
楠木正成(くすのきまさしげ)は8~15歳まで、龍覚(りゅうかく)に仏道修行について学んだ。
鎌倉幕府を倒し、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)から命をうけ金堂を造営。
正成の首級(しゅきゅう)は足利尊氏(あしかがたかうじ)の命により観心寺に届けられ、楠公(なんこう)首塚として祀られている。
星塚(ほしづか)
一巡すると厄除けになるそう。
七星如意輪マンダラ
臂如意輪観音座像(ろっぴにょいりんかんのんざぞう)
寿命のある世界
六道-地獄(じごく)・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・修羅(しゅら)・人間(にんげん)・天(てん)
を救う六本の手六臂(ろっぴ)です。
右膝を立て足の裏を合わせた座り方
世界を支配するという天輪聖王(てんりんじょうおう)の座り方
女性的な優しさ、力強い表現したお姿です。
バス
南海高野線、近鉄線の河内長野駅前3番乗り場から
「金剛山口ロープウェイ前」
「小吹台」方面行き
「観心寺」下車