生まれてから 変わらない10円玉
そこに描かれている横長の建物、平等院鳳凰堂
むかし 昭和の終わり頃に 訪れた時と平等院鳳凰堂の建物の型は変わりないが、池と赤に近い朱色の平等院鳳凰堂があるだけだったような?
随分整備され、鳳翔館ミュージアムなる立派な建物が平等院内にある
近くのお茶の店舗もインスタ映えをねらってか?
各店舗は、競うようにお茶のスイーツ、茶そばなどのグルメに工夫している
店舗からのお茶の香りが存分に味わえ、心地よかった
前日の雨で、桜は ほとんど散っていたが、八重桜としだれ桜が春の日を楽しませてくれた
そして、大きな藤棚の藤の花が咲きかけていた
今年2021年の見頃は、早いようだ
京阪電車の宇治駅を降り、大きな橋(宇治橋)を渡らず
宇治神社がある静かな たたずまいの道(朝霧通り)を歩いた
宇治川の二つの橋を渡り、平等院の入り口へと
一つ目の橋は、朱色の『朝霧橋』
二つ目のグレー色の『たちばな橋』は新しく、中州の桜も若く枝も細い
平安仏師として名高い定朝(じょうちょう)の作品が残る唯一の寺でもある
こんな優雅な造形の数々、よく残ってくれたと心から嬉しく思います
平等院
屋根の上の鳳凰は金ピカなのに、建物の朱色が茶色に近い?
年月とともに、くすんだ?
と思われたが、近くで見ると、塗られてそんなに年月が経っていない
案内の人に尋ねると、平安時代に建てられた時の色が、朱色をおさえられた茶色に近い現在の色だったらしい
昭和の時に見た、赤に近い朱色の記憶も間違っていなかったようだ
京都 宇治の地に建つ極楽の寺
平等院が建つ宇治の地は、古来より奈良から京都へ向かう交通の途中で、平安時代には山水の景勝として貴族の別荘が建てられる地となった
平等院ももとは、藤原道長が源重信(みなもとのしげのぶ)の未亡人より買い取った宇治殿(うじどの-宇治院)という別荘で、1052(永承7)年に息子の頼通が寺院へ改めたことに始まり、当初は大日如来を安置していたという
当初の日本では、極楽浄土への憧れを抱く浄土思想が権力者から庶民まで広まっていた
庶民は、相次いで起こる天災や飢饉など、困窮を極める生活から来世に望みをたくし念仏を唱えるしかなかった
一方で、権力者は繰り返される争いが静まることや、自分たちの栄華が永遠に続くことを願うため、私財を投じて仏像や伽藍を造った
藤原頼通は翌年の1053(天喜元)年、宇治川の西岸に阿弥陀堂(鳳凰堂)を建立し、現存する阿弥陀如来座像および五十二体の雲中供養菩薩(くうちゅうくようぼさつ)を安置
平等院の創建から阿弥陀堂の建立まではわずか一年弱
日本を代表する大仏師定朝(じょうちょう)および工房の仏師たちが、急いで造像を行った
現在の鳳凰堂という名称は江戸時代から呼ばれ、お堂全体が左右に翼を広げた鳳凰の姿に見えることからも、大棟に一対の鳳凰が配されていることからとも言われている
創建/1052(永承7)年
本尊/阿弥陀如来
宗派/天台浄土系単立寺院
当時の つり鐘も平等院ミュージアム鳳翔館内で展示されています
藤原頼通(ふじわらよりみち)
992-1074年
平安時代中期の公卿
藤原道長(みちなが)の長男
後一条天皇の摂政(せっしょう)を父道長から譲られた後、後朱雀天皇、後冷泉天皇が在位した間、摂政・関白として藤原氏の全盛期を築いた
平等院鳳凰堂を建立し、晩年は自身も出家した
平等院鳳凰堂
阿弥陀如来が祀られている鳳凰堂の中には、300円で拝観でき説明もあります
2021年
20人を20分ごとに入れ替える
平日に行ったので待たずにすんだが、藤の見頃時や秋の紅葉時の休日は、1時間から2時間近く待つこともあるらしい
雲に乗って極楽浄土から迎えに色んな楽器を奏でたり、踊ったり雲中供養の姿を阿弥陀如来の回りに描かれているらしいが、薄暗く柵でおおわれているのでよく見えない
平等院ミュージアム鳳翔館内に、色鮮やかによみがえった姿を観ることができる
平等院鳳凰堂 国宝 1053年
当初は阿弥陀堂として建立された鳳凰堂は、左右に翼廊と後ろに尾廊を持つ
前面にある池の中島に建てられており、まるで極楽の宝池(ほうち)に浮かぶ宮殿を見るかのようである
十二世紀初頭までに法華堂や多宝塔など多数の建築が藤原氏一門によって境内に建立された
しかし、平安末期の源平合戦である宇治川の戦いや、鎌倉末期の楠木正成(くすのきまさしげ)による宇治放火などによってそのほとんどが失われてしまった
紅葉の時期には夜間のライトアップが行われており、平安貴族が眺めたであろう極楽浄土の世界を体験することができる
阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)
平等院鳳凰堂の真ん中に祀られ、平等院鳳凰堂に入らなくても、池をはさんだ外からも観ることができるようになっている
皆が極楽浄土を願って拝みにきたのだろう
阿弥陀如来の光背(こうはい)にも、同じように雲に乗り 色んな楽器を奏でたり、踊ったり雲中供養菩薩像が12体いらっしゃった
国宝
平安仏師として名高い定朝(じょうちょう)の手により1053年に造られた阿弥陀如来像
寄木造・漆箔の仏像で、像高は277.2㎝
胎内に蓮台に乗った彩色の大小呪月輪(だいしょうじゅがちりん)を収めている
胸は広く薄く、包容力に満ちた身体をしていて、頬がまるく張った円満な顔に伏し目がちな目をしている
その表情は慈悲深さを表わすと言われている
鳳凰(ほうおう)
国宝
鳳凰堂の大棟に配された一対の像で、定朝(じょうちょう)工房の作と伝わる
身体部分は銅で鋳造したうえに鍍金(めっき)が施されている
風切羽(かぜきりばね)と尾羽は一枚一枚を銅で鋳造しており、自在に変化をつけている。
鳳凰は中国の伝説上の霊鳥で、鳳が雄を、凰は雌を表しているが、平等院の鳳凰は雌雄の区別がない
優美で軽快な表現を持つ
現在 鳳凰堂の大棟には 新たに政策された鳳凰像が置かれている
当初の像は鳳翔館ミュージアムにて展示されている
2004(平安16)年より発行された一万円札には、南側の像が描かれている
雲中供養菩薩像(うんちゅうくようぼさつぞう)
阿弥陀如来の上に配置されているのは、暗く、遠く、見えない!こんなに小さいの?!とガッカリしましたが
鳳翔館では、近くで観ることができ感動します
唯一、他の寺では見られない造仏です
北25号 国宝
鳳凰堂の中で、阿弥陀如来坐像のまわりを舞っているかのように、上に懸けられている
全部で五十二体あるとされるが、当初の配置方法には様々な説がある
みな雲に乗りながら、楽器を演奏したり踊ったり、僧形の姿をとるものもある
阿弥陀如来坐像と同様に、定朝(じょうちょう)の工房で造像されたとされる
北25号は定朝本人が造ったのではないかとも言われている
現在は平等院ミュージアム鳳翔館内に二十六体が展示されている
住所/京都府宇治市宇治蓮華116
拝観時間/8:30-17:30
アクセス
電車
- JR京都駅―JR奈良線(みやこ路快速)17分→宇治駅―徒歩10分→平等院
- 京阪 三条駅―京阪本線(特急)17分→中書島駅―京都宇治線15分→宇治駅―徒歩10分→平等院
- JR奈良駅―JR奈良線(みやこ路快速)31分→宇治駅―徒歩10分→平等院
- JR大阪駅―JR京都線(新快速)→JR京都駅―JR奈良線(みやこ路快速)17分→宇治駅―徒歩10分→平等院
- 京阪 淀屋橋駅―京阪本線(特急)39分→中書島駅―京都宇治線15分→宇治駅―徒歩10分→平等院
車
- 奈良方面―京奈和自動車道→城陽IC―国道24号線 一般道→平等院
- 大阪方面―名神高速→大山崎JCT―京滋バイパス→宇治西IC―一般道→平等院
- 名古屋方面―名神高速or新名神高速→瀬田東JCT―京滋バイパス→宇治東IC―一般道→平等院