出雲大社(いずもたいしゃ)
二礼 四拍手 一礼
出雲大社は「四拍手」が正しい作法です。
二度拝礼(身体は90度)
四回手を打ち(手を少しずらすと大きな音で神様に報せることができる)
最後にまた一回拝礼をします。
一般の神社では、手を二回打つ「二拍手」です。
アマテラスオオミカミが、オオクニヌシノミコトに出雲大社を造った。
オオクニヌシノミコトは、
古来、国を創り
中世、大黒天『福の神』
近世、縁結びの神として、多くの人が参拝している。
十月は、神無月(かんなづき)。
各地の神々が出雲大社に集まり、
出雲は、神在月(かみありづき)、神さまが集まり「あの子と、この子を結ぼう!?」とか、騒々しく話し合っているのでしょうか。
そう考えると神さまは、さぼっているのでは?と思ってしまうのは私だけだろうか?
イザナキノミコトとイザナミノミコトは、
その昔、
世界は まだ
水に浮いた油のようなものでしかなかった。
神の国―高天の原(たかまのはら)では
この世の初めての神―天之御中主(あめのみなかぬし)の神の
子孫である伊邪那妓(いざなぎ)という男神と
伊邪那美(いざなみ)と いう女神に
天の沼矛(あめのぬぼこ)を授けた。
天地の間に架かっている
天の浮橋(あめのうきばし)に立った。
それから矛を
目の下へ漂うものの中に・・・
ゆっくりとかき混ぜてみた。
すると しだいに固まり始める。
つぎに矛を引いてみると
その先から
濃い潮が したたり落ち
やがて、
積もって島になったのである。
これは、お能碁呂島(おのごろしま)と名付けられた。
伊邪那妓が柱の左から、
伊邪那美が右から
回り始め結婚式をあげた。
二人は やがて
健やかな子らを授かった。
それは
今の日本の島々である。
そして、
家の神、川の神、海の神、農業の神、
風の神、野の神、山の神、船の神、食物の神・・・
最後に生んだのは火の神であった。
伊邪那美の神は
この子のために火傷を負うと、
あわれ死者の国―黄泉(よみ)へ
旅立ってしまったのである。
伊邪那妓の神は
「もう一度、いとしい伊邪那美に
会うことは できぬだろうか」
はるかな黄泉の国を
訪ねることにしたのである。
そこは地の底の死者の国だ。
伊邪那妓は
やがて
冷えびえとした石の扉に
辿り着いた。
伊邪那美に よびかけた。
「恋しい妻よ。
どうか もう一度戻っておくれ」
「なぜ今頃になって おいでになるの。
わたくしは もう、
この国の火と水で炊いた物を
食べて しまいました。
そうなれば二度と生きた者の国へは
帰られぬ習わしです。
けっして
わたしの姿を見ようなどと
思っては いけません」
伊邪那妓は
辛抱しきれなくなると
ついに扉を押し開けて
中に踏み込んだのである。
しばらく進むと
生前とは似ても似つかぬ
死んで腐り果てた伊邪那美を見て
恐ろしさのあまり
後も見ずに逃げ出してしまった。
伊邪那美は
「よくも わたくしの醜い姿を見ましたね」
伊邪那美は
伊邪那妓を とらえようとした。
伊邪那妓は
坂を登り切り
間を岩でふさいでしまった。
伊邪那美は息を乱して言い捨てた。
「あなたがそのような仕打ちをなさるなら、
わたくしはこれから
あなたの国の人たちを
一日に千人ずつ絞め殺してやります」
伊邪那妓は答えた。
「おまえが そのつもりなら、
わたくしは日に千五百人ずつ
子どもを生ませてやる」
伊邪那妓は、死者の国のけがれを落とすために
水辺で左の目を洗った時
太陽のような女神が誕生した。
これが日の神―天照大御神(あまてらすおおみかみ)である。
さらに右の目を あらうと月読神(つきよみのかみ)が
鼻を洗うと須佐之男(すさのお)の命が生まれた。
天照(あまてらす)に高天の原を
月読(つきよみ)には夜の国を、
須佐之男(すさのお)は海上を、
治めさせるようにしたのであった。
揖夜(いや)神社
イザナキノミコトがイザナミノミコトの変わりはてた姿をみて逃げ出した『黄泉比良坂(よもつひらさか)』である。
神魂(かもす)神社
イザナミノミコトを祀り、最古の大社造の本殿。
劔(つるぎ)神社
黄泉の軍勢を振り払うために、イザナキノミコトが剣をぬいた所。
比婆山(ひばやま)
比婆山久米神社(熊野神社)は、イザナミノミコトの神陵とされ、山一帯は古代から現在も製鉄が盛んで、金屋子(かなやご)神社は全国の製鉄・冶金業者から信仰されている。
猪目洞窟(いなめどうくつ)
黄泉坂・黄泉穴とよび、人骨、土器、木製品、貝類、獣骨、魚骨が見つかり海上生活者の墓と推定神秘スポット。
スサノオノミコトは、
須佐之男の命(すさのおのみこと)といえば、
神々の国―高天の原(たかまのはら)のあらくれものだ。
姉の日の神―天照大御神(あまてらすおおみかみ)の
田をふみにじる。
神殿には、くそをまく。
みかねた神々は、須佐之男の命を地上へ追い払う。
たどり着いた出雲(いずも)の国の、
とある館の前で、
美しい娘を中に、年老いた男女が泣きくれていた。
尋ねると老人は
「わたくしは、この国の神で
足名椎(あしなづち)と申します。
こちらは妻の手名椎(てなづち)、
娘は櫛稲田姫(くしなだひめ)でございます。
娘が、やまたのおろちと言う、
目はランランと光り、
体は一つながら八つの頭と八本の尾が生えていて、
背には杉などが茂り、
そのなりの大きい者に、飲まれてしまうのです。」
それを聞くなり須佐之男の命は
「姫を わしの妻に してくれるならば、
おろちを退治する」と、
村びとに命じ、
八たび醸(かも)した酒をこしらえ、
館の周りに、垣を巡らせ、
八つの口と八つの桟敷の上には、
酒を満たした瓶を置いた。
夜が暮れると地鳴りと、おたけびをあげる
おろちは八つの頭で、八つの瓶に取り付き、
ぐびぐびと喉を鳴らして酒を飲んだ。
八たび醸した強い酒に、おろちも酔いつぶれ、
頭を地面に落とし、津波のようなイビキをかいた。
「いまだ!」須佐之男の命は、
やまたのおろちの八つの首を切り落とした。
こうして、須佐之男の命は、
めでたく櫛稲田姫を妻に娶ると、
八雲の立ち上る、出雲の地に幸せに暮らしたいう。
八重垣(やえがき)神社
スサノオノミコトがクシナダヒメ(イナタヒメ)をかくまって、今は縁結びのお社。
須我(すが)神社
「八雲立つ、出雲八重垣、妻籠みに、八重垣作る、その八重垣を」とスサノオノミコトは歌をよみ、巨大な神木はパワースポット!!
斐伊(ひい)神社
『八本杉』スサノオノミコトがヤマタノオロチの八つの頭を埋め、八つの杉を植えた所。
八俣の大蛇(やまたのおろち)公園
英雄のスサノオノミコトが怪物ヤマタノオロチを退治して美しいクシナダヒメ(イナタヒメ)を助けるというドラマチックストーリー。公園近くの斐伊川堤防の桜並木は「日本さくら名所100選」の一つ。
天が淵(あまがふち)
ヤマタノオロチが住んでいたところで、かつては「蛇帯」と呼ばれる青と赤の筋になった部分がありヤマタノオロチの足跡といわれていた。
尾留大明神(おとめだいみょうじん)
スサノオノミコトがヤマタノオロチの尾を切ったとき、尾から「草薙の剣」を得たところ。
河辺(かわべ)神社。クシナダヒメ(イナタヒメ)がお産所に定めたところで「甚く久麻久麻志枳なり(奥まった静かできれいな谷という意味)」『くまぐまし』言った。
温泉神社
ヤマタノオロチを恐れていたクシナダヒメ(イナタヒメ)の親神アシナヅチとテナヅチを祀る神陵、「二神岩(ふたごいわ)」がある。
船通山(せんつうざん)
高天原から追放されたスサノオノミコトが降り立った「鳥上山」。「鳥上滝」はヤマタノオロチが棲んでいた斐伊川の源流。
須佐(すさ)神社
スサノオノミコトの〝終焉の地〟。樹齢約1200年の「大杉」は近年のパワースポット。
熊野(くまの)大社
「出雲国 一の宮」で「杵築きづき大社(出雲大社)」と並び重んじられ、「鑽火祭(きりびまつり)」で知られ、意宇川(いうがわ)に架かる朱塗りの「八雲橋」を渡ると清らかな境内が広がる。
日御碕(ひのみさき)神社
朱塗りの社殿が華やか。「神の宮」にスサノオノミコト、「日沈宮(ひしずみ)」にはアマテラスオオカミを祀る。「和布刈(めかり)神事」は正月5日で華やかな旗や国旗を着けた船が繰り出す。
韓竈(からかま)神社
ふもとの鳥居から急な石段を10分以上登り、巨岩の割れ目をくぐり抜けるとスサノオノミコトを祀る小さな祠がある。
オオクニヌシノミコトは、
あらくれもの須佐之男の命(すさのおのみこと)に、
こよなく気立ての良い
大国主の命(おおくにぬしのみこと)と言うの子孫がいた。
大国主には、八十神(やそがみ)とよばれる兄弟たちがいて、
因幡(いなば)の国の八上姫(やがみひめ)を嫁にしようと
ある日、出雲の国をあとにした。
大国主は、兄弟たちの荷を背負わされ従うのであった。
遅れた大国主が泣いてるウサギに
「おや、ウサギ。どうしたのだ」
穏やかな声で尋ねた。
「じつは・・・わたくしは
隠岐(おき)の島に暮らしておりました者でございます。
島を抜け出したいと思い暮らしており、
海のサメたちをたぶらかして
陸へ渡ってやろうと思いついたのでございます。
サメたちに呼びかけました。
『おうい、わたしたちウサギの数と、
おまえたちサメの数の
どちらが多いか比べてみないか?
この浜から気多(けた)の岬に
一列に並んでみるがよい。
わたしは、おまえたちの背中を
飛びながら数を数えてやろう。
では、いくぞ』
ところが最後の一尾(いちび)という所で、
うれしさのあまり口走ってしまったのでございます。
『やいやい、だまされたな。
わたしは海を渡りたかっただけなのさ』
腹を立てたサメは、
あっというまに襲いかかってまいりますと、
わたしの皮をはぎとり・・・
そのうえ八十神さまが
「海の水で体を洗ってみよ。
それから
風の吹きさらす山の頂に寝転んでおれと・・・
痛みはひどくなるばかりでございます」
「なんとむごいことだ。
河口へ行って真水で塩を洗い落とし、
蒲(がま)の花粉を敷き散らした上に転がりなさい」
ウサギの体は見るまに
元通りになったのである。
ウサギは大国主に教えた。
「あなた様は、人の荷物を背負わされておられますが、
八上姫さまを嫁にされるのは、
ご兄弟ではありません。
あなた様でございます」
ウサギの言った通りであった。
「わたくしは、大国主の命さまの
身元に嫁ぐつもりです」
八十神たちは腹を立て、
憎い大国主の命を奪おうと、
はかりごとを巡らした。
伯耆(ほうき)の国の山すそに、
大国主を連れ出すと
「この山には赤猪がおるそうな。
ふもとで待ちうけて引っ捕らえよ」
赤猪とは、燃えさかる岩で、
大国主は下敷きになってしまった。
母神―刺国若比売(さしくにわかひめ)は嘆き、
生死をつかさどる神産巣日(かみむすび)に救いを求めた。
赤貝の神―きさ貝姫と、
はまぐりの神―蛤貝姫(うむぎひめ)の介護で、
大国主は前にも増して、
りりしい姿でよみがえった。
兄弟たちは、ますます面白くない。
そこで、木の裂け目へ誘い込み、
挟み殺してしまった。
母神は必死の介抱をほどこし
命は息をふきかえした。
母神は思いあまって
「黄泉の国(よみのくに)へお渡りなさい。
そこには御先祖の
須佐之男の命(すさのおのみこと)がおられます。
きっとお守り下さいます」
大国主は黄泉の国へ漕ぎ渡った。
須佐之男の館に着くと中から現れたのは、
須佐之男のひとり娘、
須勢理姫(すせりひめ)である。
須佐之男は姫が
大国主を好いているらしいことを知って
きげんをそこねたのであった。
「ヘビの室(むろや)へ案内してやれ」と姫に命じた。
大国主が とっさに
姫に渡された『ヘビの布』を
三度振ると退いて行くのであった。
あくる朝、
須佐之男は、いっそう腹を立て姫に申しつけた。
「今宵は、あの男をむかで はちの室へ泊めよ」
姫が渡してくれた
『むかで はちの布』で追い払った。
須佐之男は、ますます
おだやかではない。
大国主を草原に連れ出すと一本の矢を射はなった。
「あの矢をとって来て見せろ」
矢はいっこうに 見つからない。
さまよっていると、
背後にボウボウと火の燃えさかる音がおこった。
大国主は 逃げる道を失った。
その時、一ぴきのネズミが
「内は ほらほら、外は すぶすぶ」と、
歌うではないか。
力まかせに大地を踏むと、
身ひとつ入るような穴があいた。
大国主がそこへ逃れると、
さっきのネズミが須佐之男の射た矢をくわえていた。
次に須佐之男は
「おれの頭の しらみを取れ」
しらみならぬ むかでがウヨウヨと うごめいている。
むかでを取るふりをして
須勢理姫がくれた
椋の実を噛みつぶし、
赤土といっしょに吐き捨てた。
須佐之男が寝入ったすきに、
大国主は、須佐之男の髪を束ね
天井のたるの木に結びつけると、
五百人力でも動かせぬ岩で館の入口をふせいだ。
さらに生太刀(いくたち)、
生弓矢(いくゆみや)、
天(あま)の詔琴(のりごと)をたずさえると
須勢理姫を背負って逃げ出したのである。
須佐之男は二人を追ったが、
大国主と姫は海上を舟で去って行くところであった。
「おまえが うばった太刀と弓矢で、
兄弟たちをせいぜいおいはらうがよい。
そうして国の神となり、屋敷を築き、
わしの娘を幸せにしてやってくれ」
まもなく大国主の命は出雲(いずも)の国へ帰ると、
兄弟である八十神(やそがみ)たちを追放して
末ながく国を治めることになったのである。
美保(みほ)神社
オオクニヌシノミコトの御后神ミホツヒメノミコトを祀る。「ゑびすさま」三三八五社の総本社。「ゑびすさまは鳴り物がお好き」でおびただしい楽器が奉納されてる。神話の「国譲り」を再現した四月七日の「青柴垣(あおふしがき)神事」と十二月三日「諸手船(もろたぶね)神事」がある。
白兎海岸(はくとかいがん)
『因幡の白兎(稲羽の素兎)』は、淤岐(おき)の島から稲羽(いなば)に渡ろうとしたウサギが、ワニをだまし、連なるワニの背を飛び渡り陸にたどり着くが、だまされたことに気づいたワニは、ウサギの服をはぎ取り、通りかかったオオクニヌシノミコトの兄弟に海水に入ったほうが良いとの助言どうりすると、傷と痛みはひどくなったが、大きな袋を背負ったオオクニヌシノミコトの助言どおりに「蒲黄(ほおう-ガマの花粉)」に寝転ぶとウサギの体は、元どおりになった。と いう有名な物語の舞台。
三屋(みとや)神社
オオクニヌシノミコトが宮居と定めたところ。近くには前方後円墳を含めた「松本古墳郡」がある。
八上姫(やがみひめ)神社
オオクニヌシノミコトの妻ヤガミヒメを祀る小さな社。ヤガミヒメが入浴して、さらに美しくなったとされる〝日本三美人湯〟のひとつ『湯ノ川温泉』がある。
御井(みい)神社
オオクニヌシノミコトとヤガミヒメは、正妻のスセリヒメの嫉妬をさけ、ヤガミヒメが御子神の産湯に使った三つの井戸を伝える神社で、安産と水の神様として信仰されている。
稲佐(いなさ)の浜
「神在祭(かみありさい)」に、八百万(やおよろず)の神々を迎える「神迎神事(かみむかえしんじ)」がおこなわれる「日本のなぎさ100選」にも選ばれた美しい浜辺。十月十一日の前夜、浜辺には神火が炊かれ「竜蛇さま(海蛇)」を神々の使いとしてお迎え、八百万の神々を先導して「神迎の道」を進み、出雲大社にいたる。
万九千(まんくせん)神社
「神在祭」は、現在十月十七日(旧暦十月十一日)から出雲大社、佐太神社、そして最後に八百万の神々は、この神社に集い神議を締めくくり諸国の神社に帰っていく。これを「神等去出祭(からさでさい)」といい、「神立」という地名の由来になってる。二十六日、宮司が「お立ち」と三度唱えて、神々に伝える。
日御碕燈台(ひのみさきとうだい)
1903年に設置され、石積み燈台として日本一。
狭い階段を登ると絶景だった。