11月3日の祭日、大阪 河内長野駅からバスで30分近くかかる山の中だが、たくさんの人がきていた。
国宝 『大日如来坐像』と『不動明王坐像』と『三世明王坐像』の三尊の特別公開。
三体を見て最初に思うことは「でっかい!」
そして「大日如来坐像が、きれいに金でピカピカ!」
せっかく行くのだからと、もう一つの国宝『日月四季山水図屏風』にも
はれわたる 天野の宮の 金剛寺
古にし蹟(あと-あとかた)も 畏(かしこ-おそれおおい)かりけり
もう一つ「大日如来坐像光背について」と言う講座を見つけ、ひと月程前からネットで予約しておいた。
初めての試みらしいが、思ったより人が集まったと喜ばれ、いろいろと気を使われていた。
講座の内容は、曼荼羅(まんだら)から、大日如来坐像の光背(こうはい-背中の飾り)について詳しく教えてくれた。
そして、金剛寺の大日如来は宝冠(ほうかん)をかぶり、瓔珞(ようらく-ネックレス)、椀釧(わんせん-ブレスレット)などで飾っているが珍しく、東寺と金剛寺にしか観られないという。
古来より伝わる僧坊酒(そうぼうしゅ-大寺院で醸造された高品質の酒)『天野酒』
昔は甘い食べ物がないので、甘みの強い『天野酒』は信長、秀吉、家康に好まれたらしい
天野山 金剛寺(あまのさん こんごうじ)
奈良時代、聖武天皇が行基(ぎょうぎ)に建てさせた寺院。
平安時代末期に、父を鳥羽天皇(とばてんのう)、兄に後白河天皇(ごしらかわてんのう)をもつセレブ八条女院をバックアップに阿観上人(あかんしょうにん)が再建した。
当時、女人禁制の高野山に対抗して『女人高野』と女性がいやされる場となっていった。
摩尼院(まにいん)
30分程、書面を見ないで摩尼院について説明をしてくれる、おじさんがいた。すごい!
テレビのニュースキャスターが、1分間ほど自分の意見を言うのに、随時うつむき書面を見ながら話すのは・・・・・
南北朝時代、後白村上天皇(ごむらかみてんのう)が6年間も行宮(あんぐう-天皇が政変で一時的に使用した施設)とした。
何百人を引き連れての行宮、6年間ご飯を食べさせた金剛寺なのに、後で行き1年間お世話になった観心寺(かんしんじ)に墓があるのに金剛寺は・・・むぅ(。・_・。)
昼の2時から4時までの講座を受け、外に出ると、うっそうとした山中にある寺のせいと、11月に入ると日が短く寒々とし、早々にバスに乗り寺を後にした。