ウォーキング旅 神社・寺

コスモスと、藤原宮跡と、白い衣まう天香久山 奈良

投稿日:2018年10月13日 更新日:

10月の晴れた日に、藤原宮跡にコスモスが咲いていると聞き、白鳳文化 万葉の史跡を巡り歩いた。
以前、熱心に読んだ、女帝 持統天皇(じとうてんのう)物語アニメ、里中満智子さんの『天上の虹』を思いだした。
天智天皇(てんぢてんのう)の無邪気な幼い第2皇女 讃良(うののさらら-のちの持統天皇)は、有馬皇子(ありまのおうじ)への純粋な恋心をいだく少女になったが、父である天智天皇の弟であり、叔父の大海人皇子(おおあまのおうじ)に姉妹で嫁がされ、草壁皇子(くさかべのみこ)を産む。
壬申の乱(じんしんのらん)大海人皇子と反乱を起こし勝利して、大海人皇子=天武天皇(てんむてんのう)の皇后となる。
自分の産んだ草壁皇子より、亡き姉の産んだ大津皇子(おおつのみこ)の方が優れている上にカリスマ性があるために、謀反をでっち上げ殺した恐い母親となる。
大津皇子が亡くなった3年後に草壁皇子も病死、あわれな母となるが、後に自ら天皇となった。
その功績は大きく、日本が律令制のもとで中央集権国家を整え、碁盤の目の街並みを整備するのに力を注いだ。

近鉄 橿原神宮前駅に降り立った。
天気は良いが、10月だというのに朝から暑い。
歩いて天香久山の山頂までの道のりに、ちょっぴり不安‥‥
疲れが吹き飛ぶ景色に出会えることを願って、まずは『橿原神宮』に。

橿原神宮(かしはらじんぐう)

広く立派だ。
正月のにぎわいが想像できる。

天照大神(あまてらすおおかみ)の血をひく、神武天皇(じんむてんのう)が、およそ2,600余年前 第一代天皇として即位して、橿原宮を畝傍山の麓に造り、伝承に基づき明治23年に橿原神宮が創建された。

次は、畝傍御陵前駅の横を通るので、本堂に向かって右手を進み、橿原神宮を出た。

黄緑色の破魔矢がきれいです。
本薬師寺跡(もとやくしじあと)

残りものに福?!
8、9月見頃のホテイアオイが、10月なのに広々と咲いていた。

天武天皇が皇后(持統天皇)が病気になったとき回復を願って建てた。
平城京の薬師寺と同じ形式。

本薬師寺跡の前にある大伴旅人(おおとものたびと)の歌碑。

わすれ草
わが紐に付く香具山の
(ふ)りにし里をわすれむがため

ノスタルジーに堪えきれず、いっそのこと故郷を忘れてしまいたいらしい。

朱雀大路跡(すざくおおじあと)

飛鳥川の橋を渡りしばらくして右にまがると、右手に『藤原宮跡朱雀大路跡』の標識がありました。
そして、ちょうど北に『藤原宮跡』とみられる朱色の柱の数々が小さく見えます。
朱雀大路は、藤原京を東西に分ける幅24メートルの中心道路。
藤原宮の南門から、日高山を削って通り、飛鳥川を渡り、藤原京の表玄関(羅城門)まで続いていた。

紀寺跡の歌碑を捜しウロウロしたが見つけられなかった。
道をまちがって、なかなか登り口が分からない。

天岩戸神社(あまのいわど じんじゃ)にぶつかり「天香久山登山口」への←を見つけホッとした。
天照大神(アマテラス)が隠れて闇になった岩戸があった場所だそうな。

「天から降ってきた」天香久山(あまのかぐやま)

カバン工房を右に曲がり、しばらく登ると右手にうっそうとした登り口がでてきた。
久方の天の香具山この夕へ
霧になびく春立つらしも
           柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)

霧が水平方向に薄く長く広がっていて、おだやかな春の日だな~

まきで造った階段は登りやすいが、蚊が耳刺す高音で、ズボンのすきまから入り、かぶりついてきた。
フーフー息切れしながら頂上にある『國常立神社』に着いた。

國常立神社(くにとこたち じんじゃ)

天地開闢(てんちかいびゃく-世界のはじまり)とともに現われ国を造った神さま。
国常立尊(くにのとこたちのみこと)は「純男(陽気のみを受けて生まれた神で、全く陰気を受けない純粋な男性)」完全ポジティブの神さま。

誰もいないと思い、大きな声をだして熱心に拝んだ。
振り向くと男の人が気まずそうに‥‥恥ずかしかった。

香具山は、畝傍ををしと
耳成と 相あらそひき
神代より かくにあるらし 古昔も 然にあれこそ
うつせみも 嬬をあらそふらしき
                          中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)

「大和三山の神」天香具山(あまのかぐやま)男神 と、耳成山(みみなしやま)男神が、畝傍山(うねびやま)女神を愛し、競った。
神さまでさえ、女を奪いあうのだ。

中大兄皇子(天智天皇)と、弟の大海人皇子(天武天皇)が額田王(ぬかたのおおきみ)を巡り、恋争いをしたことを背景にした歌だそうな。

超パワースポット 天香山神社(あまのかぐやまじんじゃ)!

『國常立神社』の右手を降りていくと『天香山神社』本堂の脇に出た。

ご祭神は、櫛眞命(くしまのみこと)神意を伺う占いの神さまで、国家の大事を判断するとして重んじられていた。

大和朝廷発祥に関わる聖地「物実(ものざね-物事のもとになるもの)」として、八百万の神々と結ばれた神山

『神武東征神話(じんむとうせい しんわ)』
神日本磐余彦天皇(かんやまといわれひこのすめらみこと-神武天皇)の東征軍が賊軍に負けているとき、「祈い(うけい)」をして寝ると、夢のなかで天神が「天香具山の社中の土で祭器を作って天神地祇(てんじんちぎ-天つ神と国つ神)を祭り呪詛(じゅそ-のろい)すれば、敵は自ら平伏する」との教えのままに、すると「高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)」という神さまのパワーで敵軍を絶滅でき、その後、連戦連勝で橿原で即位したそうな。

波波迦の木(ははかのき)
木の皮で香具久山の雄鹿の骨を焼いて吉凶を占った『古事記』

春過ぎて夏来るらし
白栲(しろたえ)の衣乾したり
天の香具山
                        持統天皇

『百人一首』の有名な歌ですね。
梅雨が過ぎ、天香久山と、真っ青な空と、真っ白な入道雲のコントラストが目に浮かびます。

深く頭をさげ、たくさん願った。
たくさん過ぎたかな?

小さく古い神社だが、神主さんが、きれいに心を込めて祀っておられるのが分かります。

山道を歩いてきたが、天香山神社の表の道はアスファルトで右に歩きだした。しばらく歩くと目の前に耳成山。

最後の目的地『藤原京跡』数々の赤い柱が見えてきた。
平日だが、広がるコスモス畑に多くの人が、カメラやスマホで写真を撮ったり、ゆっくりとした時を過ごしていた。

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ぐるりと周囲を見回すと北に耳成山、東に香具山、西には畝傍山がそびえる。
大和三山が、最もはっきり きれいに見えると聞いていたが、間違いなかった。
広大な草原に、万葉の昔と変わらない山を眺めていると、広大な都城が目に浮かぶようだ。

JR畝傍駅のレトロな木造駅舎を見たくて、足の痛みもなくなり急ぎ足になる。

駅から電車が‥‥
期待がふくらむ
駅の前は工事。
これ以上、風格ある駅を壊さないで!
維持は大変だと思うけど‥‥

かつて橿原神宮などへの最寄り駅として駅舎内に貴賓室を備え、平成天皇や昭和天皇が利用されたこともあるそうな。

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