10月の晴れた日に、藤原宮跡にコスモスが咲いていると聞き、白鳳文化 万葉の史跡を巡り歩いた。
以前、熱心に読んだ、女帝 持統天皇(じとうてんのう)物語アニメ、里中満智子さんの『天上の虹』を思いだした。
天智天皇(てんぢてんのう)の無邪気な幼い第2皇女 讃良(うののさらら-のちの持統天皇)は、有馬皇子(ありまのおうじ)への純粋な恋心をいだく少女になったが、父である天智天皇の弟であり、叔父の大海人皇子(おおあまのおうじ)に姉妹で嫁がされ、草壁皇子(くさかべのみこ)を産む。
壬申の乱(じんしんのらん)大海人皇子と反乱を起こし勝利して、大海人皇子=天武天皇(てんむてんのう)の皇后となる。
自分の産んだ草壁皇子より、亡き姉の産んだ大津皇子(おおつのみこ)の方が優れている上にカリスマ性があるために、謀反をでっち上げ殺した恐い母親となる。
大津皇子が亡くなった3年後に草壁皇子も病死、あわれな母となるが、後に自ら天皇となった。
その功績は大きく、日本が律令制のもとで中央集権国家を整え、碁盤の目の街並みを整備するのに力を注いだ。
天気は良いが、10月だというのに朝から暑い。
歩いて天香久山の山頂までの道のりに、ちょっぴり不安‥‥
橿原神宮(かしはらじんぐう)
正月のにぎわいが想像できる。
黄緑色の破魔矢がきれいです。
本薬師寺跡(もとやくしじあと)
8、9月見頃のホテイアオイが、10月なのに広々と咲いていた。
平城京の薬師寺と同じ形式。
わすれ草
わが紐に付く香具山の
故(ふ)りにし里をわすれむがため
ノスタルジーに堪えきれず、いっそのこと故郷を忘れてしまいたいらしい。
朱雀大路跡(すざくおおじあと)
そして、ちょうど北に『藤原宮跡』とみられる朱色の柱の数々が小さく見えます。
朱雀大路は、藤原京を東西に分ける幅24メートルの中心道路。
藤原宮の南門から、日高山を削って通り、飛鳥川を渡り、藤原京の表玄関(羅城門)まで続いていた。
道をまちがって、なかなか登り口が分からない。
天岩戸神社(あまのいわど じんじゃ)にぶつかり「天香久山登山口」への←を見つけホッとした。
天照大神(アマテラス)が隠れて闇になった岩戸があった場所だそうな。
「天から降ってきた」天香久山(あまのかぐやま)
霧になびく春立つらしも
柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)
霧が水平方向に薄く長く広がっていて、おだやかな春の日だな~
フーフー息切れしながら頂上にある『國常立神社』に着いた。
國常立神社(くにとこたち じんじゃ)
国常立尊(くにのとこたちのみこと)は「純男(陽気のみを受けて生まれた神で、全く陰気を受けない純粋な男性)」完全ポジティブの神さま。
誰もいないと思い、大きな声をだして熱心に拝んだ。
振り向くと男の人が気まずそうに‥‥恥ずかしかった。
香具山は、畝傍ををしと
耳成と 相あらそひき
神代より かくにあるらし 古昔も 然にあれこそ
うつせみも 嬬をあらそふらしき
中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)
「大和三山の神」天香具山(あまのかぐやま)男神 と、耳成山(みみなしやま)男神が、畝傍山(うねびやま)女神を愛し、競った。
神さまでさえ、女を奪いあうのだ。
中大兄皇子(天智天皇)と、弟の大海人皇子(天武天皇)が額田王(ぬかたのおおきみ)を巡り、恋争いをしたことを背景にした歌だそうな。
超パワースポット 天香山神社(あまのかぐやまじんじゃ)!
ご祭神は、櫛眞命(くしまのみこと)神意を伺う占いの神さまで、国家の大事を判断するとして重んじられていた。
『神武東征神話(じんむとうせい しんわ)』
神日本磐余彦天皇(かんやまといわれひこのすめらみこと-神武天皇)の東征軍が賊軍に負けているとき、「祈い(うけい)」をして寝ると、夢のなかで天神が「天香具山の社中の土で祭器を作って天神地祇(てんじんちぎ-天つ神と国つ神)を祭り呪詛(じゅそ-のろい)すれば、敵は自ら平伏する」との教えのままに、すると「高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)」という神さまのパワーで敵軍を絶滅でき、その後、連戦連勝で橿原で即位したそうな。
木の皮で香具久山の雄鹿の骨を焼いて吉凶を占った『古事記』
白栲(しろたえ)の衣乾したり
天の香具山
持統天皇
『百人一首』の有名な歌ですね。
梅雨が過ぎ、天香久山と、真っ青な空と、真っ白な入道雲のコントラストが目に浮かびます。
たくさん過ぎたかな?
小さく古い神社だが、神主さんが、きれいに心を込めて祀っておられるのが分かります。
最後の目的地『藤原京跡』数々の赤い柱が見えてきた。
平日だが、広がるコスモス畑に多くの人が、カメラやスマホで写真を撮ったり、ゆっくりとした時を過ごしていた。
ぐるりと周囲を見回すと北に耳成山、東に香具山、西には畝傍山がそびえる。
大和三山が、最もはっきり きれいに見えると聞いていたが、間違いなかった。
広大な草原に、万葉の昔と変わらない山を眺めていると、広大な都城が目に浮かぶようだ。
駅から電車が‥‥
期待がふくらむ
これ以上、風格ある駅を壊さないで!
維持は大変だと思うけど‥‥
かつて橿原神宮などへの最寄り駅として駅舎内に貴賓室を備え、平成天皇や昭和天皇が利用されたこともあるそうな。